© 2017 by  HAYASHI MICHIO ART PHOTOGRAPHY WORKS

  • Black Facebook Icon
  • Black Instagram Icon

長崎に開かれた医学伝習所にて松本良順と学生達を写した一枚。

​この撮影者ピエール・ジョセフ・ロシエ(Pierre Joseph Rossier、1829年-没年不明)は、この医学伝習所にて学生達に写真術を教え、ここから多くの写真師達が巣立っていった。​その中には、写真の祖といわれる上野彦馬を筆頭に内田九一、亀屋徳次郎、古川俊平、等の日本における写真の礎を築いたメンバーであった。この写真は、日本における写真史の始まりを写した一枚といっても過言ではない。

【西洋からの写真技術の伝来】

幕末に蘭学、洋学、軍学、航海術、医学などと共に化学(舎密)が日本に伝わり、それを応用した写真術が諸藩の大名の支援を受け、研究される事となった。

 

【日本写真黎明期―写真師たちの苦悩―】

当時、化学薬品はとても高価であり、誰もが簡単に手に入れられる物ではなかったため、初期の写真師たちは苦悩を重ね、薬品を自身の手で作成し、薬剤調達を行った。そんな初期の写真師たちの労苦と写真機材、薬剤商の発展に伴い、次第に国内各地に写真館が開かれる事となった。

 

【ぬれ板?ガラス取り?湿板写真(Collodion process​)の仕組みと名の由来】

湿板写真は、当時「ぬれ板」「なま取り」「ガラス取り」などと呼ばれていた。これらの名称は湿板写真の仕組みに由来する。湿板写真は、ガラス面に薬剤皮膜を作り、硝酸銀溶液の中にガラス板をつけ込み感光性を持たせた後、撮影を行い薬剤の散布から現像、定着までの全てのプロセスをガラスプレート上で、まだ薬剤が乾かない間に行なわなければならない事から、「湿板写真」という名が付いたと言われている。

 

【幕末維新期の写真の役割】

幕末明治初期には、多くの志士達が自身の姿を残そうと、盛んに写真の撮影が行われた。

写真撮影の意味合いも、幕末と明治では異なり、幕末では明日をもしれぬ激動の時代に自身の姿を家族、友人に伝え残す事を目的に撮影をされたものが多く、明治時代となってからは、記念写真としての意味合いが強く、現代人が写真を写すようになっていく始まりともいえよう。

また幕末、明治に入り外国との交流が活発化した事もあり、海外の風習にあった自身の姿を写真にして、現代の名刺のように相手に渡すことが日本でも行われるようになった。

 

 

【鶏卵写真( albumen print )とは? ネガとポジ、どう違う?】

湿板写真には、大きく2種類のタイプに分けることが出来る。 1つはガラス写真自体を目で確認する事の出来るポジタイプと、紙に焼き付ける事を目的として撮影されたネガタイプである。 ネガタイプは、ポジタイプのように目で確認した場合、白色が強く像が不鮮明であることが特徴として挙げられる。

 

【鶏卵紙にはネガ写真!その技法とは?】

ネガタイプは、紙に焼き付ける事を目的に作成されるため、通常の撮影時間の3倍程度時間をかけ、強く感光させる必要がある。 こうして撮影されたガラス写真を、卵白液、硝酸銀水溶液で処理した印画紙(=鶏卵紙)の上に、密着させた状態で日光に当て、像を焼き付けたものが鶏卵写真である。

この技法で制作された鶏卵写真は 幕末から明治中期まで盛んに制作され、当時の日本の姿を現代に伝えている。